• 宮城から若者の課題を考える よりそいシンポジウム

代 表 理 事 挨 拶

~困っている人を「包み込める」社会へ~

よりそいホットラインを運営するようになってから、講演依頼をたくさんいただくようになった。全国各地で演壇に立ち、自己紹介をするときは「福島市で生まれて、被災地宮古市に住み、実家は今も福島にある」と話すことにしている。
 東日本大震災から2年が経過した。震災の復興に関して、被災地の実感と日本全体の認識とははるかにかけ離れてしまった。大震災は本当にあったのだろうかとすら思わせられる。そのことのやりきれなさを、会場におられた皆さんは私の自己紹介に感じてくださっていただろうか。

何かしなければならないという気持ちに突き動かされて、ホットラインを始めてから、もう1年半以上が経過した。現在は、一日3万件、1ヶ月100万件の電話がかかってくるのが「普通」の状態という、前例のない電話相談になった。どのコールセンターの電話も24時間鳴りやむことがない。相談先がこんなにも求められていたのかと愕然としている。
 本業は内科開業医なので、被災地で仮設住宅に暮らしている方々の診療をすることも多い。患者さんたちは「お金も、仕事も、家も、家族も亡くし」て、生きる希望を奪われてしまっている。ホットラインの相談者も同じだった。「仕事がなくて、(頼れる人がいなくて、暴力を受けていて、病気があって、障害があって、)どうしたらいいかわからない」と話される。被災者の姿が、そのまま電話をかけて来られる方の姿と重なって見えてしかたない。
 ホットラインを運営しながら、「被災地」を忘れない感性を持つことが、この社会全体を「生きやすい社会」に変えていく力になるという確信が日々深くなる。現在の日本社会に必要なのは、「困っている人のことを忘れない」という優しさなのだと思う。

3月11日を境に私の人生観は変わった。還暦も過ぎ、今後は被災地復興に力を尽くそうと考えていた。それで始めたホットラインだが、やってみて初めて分かったことは、相談先がなかった人がこんなにもいたのだということだった。
 匿名だから電話ができたセクシュアルマイノリティの人がいる。市役所の相談窓口に行けないDVの相談がある。どこに行ったらいいかわからないという相談がある。今までの相談窓口と、たどり着けない人々の間には深い溝があったのだ。よりそいホットラインは、窓口と人々をつなぐ橋になったのかもしれない。相談員は相談者と話しながら一緒に橋を渡り、向こう岸の分かれ道で次の支援者に繋いでいる。

今の制度は、「自分一人で橋を渡っておいで」というのが多いが、そんなことができる人ばかりではない。制度に人を合わせるのではなく、人に制度を合わせなくては効果は出ない。そのためには、今何が起きているのか、現実をきっちり把握してほしい。
 1人でも多くの人にこの報告書を読んでほしい。
 被災地だけでなく、日本中に困りごとを抱えた人々が多勢いる。支援にたどりつけない、そもそも支援の制度もない人々がいる。そのことは間違いがない。

そうした人たちを包み込める、優しい社会保障制度が今ほど求められている時はない。震災は時も人も場所も選ばないのだから、相談者の姿は他人事ではなく、明日の自分なのだと、すべての人に感じてもらいたいと思う。
 困りごとを抱えた人たちのことを「想像できる感性を磨く」ための触媒として、本報告書が役立てば、これにすぎる幸せはない。

最後に、相談員総勢2,500人、連携団体600団体という大所帯で、この1年間大きな事故もなく運営できたことに、職員・相談員の皆さん、関係する団体・個人の皆様、厚生労働省、復興庁をはじめ関係所管の皆様、本報告書にかかわってくださった委員の皆様に深く感謝申し上げる。
 私たちの望みは、24時間、年中無休の何でも相談できるホットラインが国の制度として恒久的に運営されることだ。そのために、今後も努力していきたい。

熊坂 義裕

一般社団法人 社会的包摂サポートセンター
代表理事 (医師 前宮古市長)